【アトラスコラム】 第25回
アトラスコラム
第25回
JSKSから横河電機に繋げたものは
「JSKS」、この 4 文字のローマ字を初めて耳にしたのは、私が 1984 年に横河電機株式会社 (当時は横河北辰電機株式会社)に入社して数年経った時だったと思う。私は入社と同時に 現在の横河武蔵野アトラスターズの前身である横河電機ラグビー部に所属したが、数年後慶応 大学卒でクラブチームの「JSKS」でラグビーをやっていたというものが入部した。その時に当時横河電機社長であった横河正三さんも「JSKS」出身だということを知った。横河電機ラグビー部を創設 したのは慶応大学でラグビーをやられていた横河正三社長だと聞いていたので、てっきり体育会の 「慶應義塾體育會蹴球部」出身かと思っていた。「JSKS」という伝統あるクラブチームが慶応大学 にあることをその時初めて知った。ローマ字4つのクラブ名称が珍しいのでその意味は何かと聞いた ら、「地獄の沙汰も金次第」の頭文字を取ったものと聞き、横河社長がいたチームならありえそうか な、となんとなく納得したことを覚えている(実は諸説あるようだが)。
横河正三さん、筆者が横河電機に入社したときの社長である。社長と新入社員なので接点はほとんどなかったが、筆者配属が人事部で役員室と同じ本館だったので、会社で何度かお会いすることはあった。一度本館のエレベータで一緒になったときに、ラグビー部員であることを知ってか知らないかわからないが、「必要以上にでかいな」と言われたことがあった。横河社長は比較的小柄な方だ ったので、きっと必要以上に見えたのかもしれないが、「何?」とも思ったが、声をかけていただいたことをなんとなく嬉しく思ったのを覚えている。
横河ラグビーのシンボルでもある市松模様のジャージを作ったのも横河社長である。配属先であった人事部研修課に横河社長の秘書をやられていた方がいらっしゃって、ジャージが決められた様子 を話してくれた。当時ラグビージャージは、国内においては代表も大学・社会人チームもほとんどが 横縞のジャージであった。その中で他にはないジャージを作りたいということで、様々な色の生地を 役員室の自室に持ち込んで、あーでもない、こうでもないと組み合わせていく中でできたのが、濃紺 と水色の市松模様のジャージだった。その後市松模様のジャージは海外ではいくつか見たことはあるが国内ではほとんどみることはない独自のものとなった。横河電機ラグビー部は横河正三さんが 終戦後会社に復帰され
たときに作られたが、当時は三鷹も周りが畑だったとはいえ、グランドを作って、さらにラグビーをやろうなんてよく思ったなと改めで考えると驚くばかりである。以前かなり年上のOBから当時の話を聞いたことがあるが、ラグビーをやったことがあるような社員はほとんどいなかったので、運動ができそうな社員に横河正三さんが声をかけまくったとのこと。ある OB は「俺は中卒だ が、中学の部活でバスケット部にちょっといただけなのに「バスケットをやっていたなら大丈夫、すぐグランドに来い」と言われてグランドに行かされた」なんて話も聞いた。そんな中、グランドには部員が60人以上いるような時もあり、人数が多すぎてスクラムの順番が回ってこないなんて話も聞いた。当然練習は仕事が終わった後にやるわけだが、ナイターもない中、人数はいても未経験者が かなりいる中での練習も大変だったと思われる。
J S K Sから横河電機に繋げたものはしかしながら、戦後すぐに東京の武蔵野で事業をやっていくだけでも大変な頃に、会社にラグビー 部を作ろうなんて、横河正三さんはどういう思いだったのだろうか。単にラグビーが好きだからというだけではなかなかできないことである。それは大学時代「JSKS」で経験したラグビーというものを通じて 何かを感じ、学んだからなのではないか。ラグビーが何をもたらすのかということを実体験していたの ではないか。
JSKSは1929 年に設立された日本最古の大学ラグビークラブチームである。クラブの理念・行動指針をしっかりと持ち、学業とラグビーの両立を目指し、700 名近い OB がその活動を支えて、日 本の学生クラブ日本一を常に目指す中、現在も関東学生クラブリーグの 1 部に所属するクラブで ある。横河正三さんは 1914 年生まれであるので、創部から数年後に入部されたようであるが、そこで得た経験がきっと横河電機ラグビー部創部に繋がっているはずである。
筆者が思うには、企業はやはり人であり、人材を常に育成していかなければならない。ラグビーを通じて様々な人材が育っていく、それを実現したかったのではないか。ラグビーはボールゲームでは一番 多い 1 チーム 15 人、両チームで 30 人という大人数で、たった一つのボールを追いかけて試合をする。チームの 15 人が常に状況を共有し、意思統一して、判断を連鎖させてボールを前に運んでいくのである。「共有」「統一」「連鎖」、社会あるいは企業で活動する中で必要な要素が多く詰まっている。そして体をぶつけながら戦い、興奮の中で倫理に基づき行動をする。人間が様々な思いと感情の中で葛藤し成長していく。そういう状況を経験し人間的に成長した者が社会や企業で 活躍する。そんな姿を想像していたのではないか。
横河正三さんは慶応大学時代にラグビーと学業との両立の中で、様々な先輩、後輩、そして自分の中に得た何かを感じたのではないか。実際に JSKS から輩出された OB の方々は様々な分野 で活躍されている。それはきっとクラブでの経験が活かされているものではないだろうか。学生クラブラグビーで常に上位を維持するためにラグビーの鍛錬をし、それぞれが学業もしっかりとやる中で、 社会の一員としての人間形成がされていく。そう感じることが多々あったのではないだろうか。
横河正三さんが創部した横河電機ラグビー部はその後社会人ラグビーのトップチームとして活動を続けて現在の横河武蔵野アトラスターズに受け継がれている。社会人のトップアスリートとしての位置づけを堅持する中で、社業とラグビーの両立を掲げた、唯一無二の社会人チームである。
社会人として両立を果たすことで人が育ち会社も発展し、社会に貢献するという横河正三さんの思いを今でも引き継いでいるチームである。 そういう意味で JSKS と横河は一つの思いで繋がっていると言えるのではないだろうか。
9月24日(日)に武蔵野陸上競技場でトップイーストリーグ A グループ 横河武蔵野アトラス ターズ対ヤクルトレビンス、関東学生クラブラグビー選手権大会 1 部 JSKS 対 GW(早稲田大学のクラブチーム)が行なわれる。ラグビーでは異なったカテゴリーを一度に見られる機会はほとんどない中、初めての試みであるが、横河正三さんが大学時代 JSKS でラグビーを通じて感じたことが、横河電機のラグビー部に繋がっていなければ、このマッチメイクもなかっただろう。この二試合はぜひとも続けて見てほしいと思う。それぞれ両立を掲げるチームがどう戦うか、まずは アトラスターズの経験豊富なスキルあるプレーを見た後に、若さ一杯で元気ある選手が活躍する 試合を、横河正三さんのラグビーへの思いを感じながら、多くの皆さんに見てもらえることを期待している。
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